大判例

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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)3023号 判決

原告

深津英美

深津稔

深津乃婦子

右三名訴訟代理人弁護士

原秀男

今村實

竹下正已

伊藤正義

被告

財団法人河野臨牀医学研究所

右代表者理事

河野稔

右訴訟代理人弁護士

深沢武久

鈴木孝雄

右訴訟復代理人弁護士

飯嶋治

主文

一  被告は、原告深津英美に対し金一二二三万二九六〇円、原告深津稔及び原告深津乃婦子に対しそれぞれ金一一八三万二九六〇円並びに右各金員に対する昭和五〇年一月二一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告深津英美に対し一五六〇万八〇〇〇円、原告深津稔及び原告深津乃婦子に対しそれぞれ一五一二万八〇〇〇円並びに右各金員に対する昭和五〇年一月二一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告深津英美(以下「原告英美」という。)は亡深津千枝子(以下「千枝子」という。)の夫であり、原告深津稔(以下「原告稔」という。)は原告英美と千枝子間の長男、原告深津乃婦子(以下「原告乃婦子」という。)はその長女であり、被告は、第一北品川病院(以下「第一病院」という。)の開設者である。

2  千枝子が第一病院に入院するまでの経緯

千枝子は、昭和四九年一二月二七日、勤務先の東京都大田区立上池台保育園において椅子に上つて物をとろうとした際転倒し、左脇及び尾底部を強打した(以下「本件受傷」という。)ため、同日、原告ら肩書住所地近くの高梨外科医院で診察を受けたところ、「尾関骨々折、左背部挫傷」と診断されて湿布療法を受け、自宅での安静を指示された。そこで、千枝子は埼玉県蕨市の別宅で正月休暇を過したが、尾骨部の痛みがひかないため、昭和五〇年一月四日(以下日付のみのときは、昭和五〇年一月の日付である。)、蕨市の今井病院で診察を受け、「左側胸部右仙骨部打撲傷」と診断され、湿布等の治療を受けた。しかし、その後も尾骨部の痛みがとれないため、一〇日、再度高梨外科医院で診察を受け、翌日から入院して治療を受けることになつたが、同医院の入院施設に不安を覚えて、同医院への入院を中止した。

3  第一病院における千枝子の病状と診療経過〈省略〉

4  死因

千枝子の遺体は、同月二〇日、東邦大学医学部福永教授により解剖され、その所見によれば、直接死因は壊死傾向の強い両側性の広汎な急性気管支肺炎による呼吸不全及び敗血症性ショックに基づくものと考えられ、起炎菌は、ぶどう球菌及び肺炎双球菌が示唆されるということであつた。〈以下、省略〉

理由

一当事者

被告が第一病院の開設者であることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、原告英美は千枝子の夫、原告稔は原告英美と千枝子の長男、原告乃婦子はその長女であることを認めることができる。

二千枝子が第一病院に入院するまでの経緯

〈証拠〉によれば、千枝子が第一病院に入院するまでの経緯は、請求原因2のとおりであることを認めることができる。

三第一病院における千枝子の病状と診療経過

当事者間に争いのない事実並びに〈証拠〉を総合して認めることができる事実によれば、第一病院における千枝子の病状とその診療経過は次のとおりである。

1  千枝子は、一一日一〇時ころ、第一病院に来院し、整形外科の河野医師の外来診察を受けた。千枝子は、河野医師に対し、本件受傷の事実及び高梨外科医院においてX線写真撮影の結果、尾骨々折、左背部挫傷と診断されたことを告げ、胸部は自発痛はあるが圧痛はなく、また深呼吸時及び発咳時にも痛みはないが、尾骨部は、自発痛及び圧痛があつて坐位不能で、熱感もあると述べた。河野医師は、千枝子の打撲部位の触診、胸部の聴診、患部のX線写真撮影等をなして、胸部には特に異常を認めなかつたが、尾部については尾骨々折と診断し、入院して安静な状態で治療を受けたいとの千枝子の希望を容れて、入院を指示した。

2  千枝子は、同日の午後第一病院整形外科病室に入院したが、その際は尾骨部痛以外に自覚症状はなく、また、体温が三七・七度で微熱があり、眩暈はあつたが、脈拍八四、血圧一一〇/七〇で他に異常はなかつた。なお、千枝子は右入院の際看護婦に対し、ピリン禁である旨自己申告した。

この日、河野医師の指示に従い、千枝子に対し、鎮痛剤カシワドールを静脈注射し、鎮痛及び消炎のため患部をエキホスで湿布し、院内処方薬「H21」(骨折、打撲後の腫脹の緩解剤ベノプラント、鎮痛剤ポンタールを含有)を投与し、栄養剤を点滴した。さらに、感冒に対する予防、治療のため院内処方薬「A4」(肺炎予防薬サルファ剤ドミアン、解熱鎮痛剤フェナセチン、抗ヒスタミン剤ヒスタール、鎮咳剤メトルコンを含有)を投与した。

右各治療のうち、カシワドールの静脈注射、エキホスによる湿布並びに「A4」及び「H21」の投与はいずれも一八日まで、右点滴は一五日まで継続して施行された。

入院後の千枝子の担当医師は、伊藤医師及び岡村医師であつたが、主に診療に当つたのは伊藤医師であつた。

3  一二日、千枝子は、一四時に、体温が三八・四度(脈拍八四)まで上昇し、尾骨部の疼痛及び左胸部の圧迫感を訴えたため、被告医師はレスタミンを注射して様子をみたところ、一五時には頭痛は消えたが、左胸部の圧迫感は続き、発汗があつた。一八時には、多量の発汗があつて体温は三七・四度(脈拍八四)に下がり、大分楽になつた様子であつた。

この日は日曜日で第一病院の休診日であつたが、千枝子が発熱していたため、伊藤医師が診察し胸部を聴診したが、肺に複雑音は聞こえなかつた。

4  一三日、千枝子は七時に、再び体温が三八度(脈拍八四)まで上昇し、左胸部圧迫感及び尾骨部痛のため昨夜は眠れず、今朝も相変らずの状態が続いているが、夜間よりは楽になつたと訴えた。当日は、伊藤医師が診察し胸部を聴診したところ、心音は異常がなく、肺にはつきりした複雑音は聞こえなかつたが、時に右中肺野に軽く複雑音が聞こえやや呼吸困難があつた。一五時には、体温は三九・二度まで上昇し、尾骨部痛及び激しい頭痛がし、左胸部圧迫感も続いていると訴え発汗もあつたが咳はなかつた。そこで、赤津医師は、千枝子が感冒に罹患しているものと診断し、右感冒の治療及び気管支炎または肺炎の予防を目的として、一日に午前中一回抗生剤リンコシン六〇〇mgの筋肉注射、鎮痛剤セデスの投与、氷枕の使用を指示した。右各治療のうちリンコシンの一日一回の筋肉注射は一七日まで氷枕の使用は一八日まで継続して施行された。また、この日から一八日まで、鎮痛・解熱剤インダシン坐薬が朝と夕の二回づつ投与された。

一七時には、体温は三八度(脈拍六六)、血圧は一〇八/六六で、頭がやや重く感じられ、若干の咳嗽があり、寒気がし、鼻汁が出て、顔面は紅潮気味だつた。排便がなかつたためコーラックが投与された。

この日、千枝子は朝から食欲がなく、牛乳を一本飲み、夕食を少々食べただけで、動くのを億劫がるようになつた。二一時には多量の発汗があり、前日よりも気分が楽になつたと告げた。

また、この日、入院患者に対する定例により千枝子に対し、血液一般検査、尿検査、蛋白分画検査、梅毒検査、血沈検査CRP試験及びASLO法試験を実施したが、その検査結果が担当医に報告されたのは、血液一般検査、尿検査及び血沈検査が翌日、蛋白分画検査が一七日、梅毒検査、CRP試験及びASLO法試験が一八日であつた。

5  一四日、千枝子は七時には体温三七・八度(脈拍八四)で、発汗はあつたが頭痛はなくなり、他に訴えはなかつた。しかし、前日の千枝子及び原告英美の希望によりこの日から附添婦がつくようになり、食事も粥食となつたが、千枝子は食欲は低下したままで、粥食も半分しか食べれず、便所へ行くのも億劫になつた。この日も伊藤医師が診察し、胸部聴診の結果肺に笛声音が聞こえ、また発熱が持続していることから、同医師は肺炎を疑うようになつたが、新たな治療の指示はなく、前日までの治療が継続された。さらに、前日実施された各検査のうち、血液一般検査、尿検査及び血沈検査の結果が報告され、血液中の白血球数が正常値より著しく増加し、白血球の血液像は好中球が増加し核が左方に移動していること、尿中の白血球数も正常より多く尿中に細菌がみられること、及び血沈値も著しく促進していることが判明した。

一八時には、千枝子は三九度まで発熱し(脈拍八〇)、胸部圧迫痛及び頭痛を訴え、発汗もあつたので、氷枕を使用して経過をみたところ、その後二〇時には、体温は三六・八度まで下がつた。

6  一五日、千枝子は七時に三九・七度まで発熱し、脈拍も九〇となり、胸痛、頭痛、発汗及び気分不良を訴えたため、鎮痛剤ソセゴンが筋肉注射された。一五時にも体温は三八・九度あり、脈拍は一〇二まで増加し、胸内部苦痛及び圧迫感を訴え、発汗があり顔色もやや不良で、前日夕より咳嗽が出るということであつた。被告医師は、左悸肋部にゼノール湿布をし首のまわりに氷のうちをあてがつて経過を観察した。

伊藤医師は、前日の胸部聴診で肺に笛声音が聞こえ、発熱も持続しているため、この日千枝子の胸部のX線写真を撮影した。しかし、このX線写真を伊藤医師らが読影したのは翌日以後であり、内科医笠木医師が読影したのは一七日であつた。

一八時には、千枝子は動悸、左胸内苦、胸痛、多量の発汗及び喉のつかえを訴え、食事も粥食を三分の一食べただけであつた。二一時には、体温は三七・三度に下がり、動悸及び胸痛がなくなつて幾分楽になつたと告げたが、脈拍は九八とあまり減少せず、左胸部圧迫感は続いていた。二四時には夕食を全量急激に嘔吐し、その結果胃部の不快感は緩和されたが眠れないと訴えたため、抗ヒスタミン剤レスタミンの筋肉注射が行われた。体温は三六・八度であつた。

7  一六日、千枝子は、七時に、昨夜のレスタミンの注射後は良く眠れたと告げたが、体温は三七・八度(脈拍九〇)で悪感戦慄、動悸及び胸内圧迫感を訴え、顔色がやや悪かつた。一五時にも発熱が持続していたので、被告医師は、氷枕及び氷のうの使用、安静を指示した。千枝子は、食欲が低下したままで、この日食事を全く摂取出来なかつたため、千枝子の体力低下とこれによる一般状態の悪化の防止のため、従前の点滴を、さらに栄養価が高く水分の多い点滴に切換えた。

8  一七日、千枝子は、午後三八・二度まで発熱し、一五時には、眩暈、倦怠感、食欲のないこと及び呼吸困難を訴えた。

伊藤医師は、千枝子及び原告英美の強い要望があつたため、被告が経営する北品川総合病院の内科医師に、一五日に撮影したX線写真の読影と千枝子の診察を依頼することにし、この日は、笠木医師に右X線写真を読影してもらつたところ、笠木医師は、心臓の右第二弓が突出しており、肺の右下野に斑点の陰影があることを認めた。

一八時には、千枝子は多量の発汗があり体温は三七・八度に下がつたが、脈拍は九六に増加し、血圧は八〇/四〇と極めて低かつた。左胸部痛及び息苦しさを訴え、頭痛はなかつたが、食欲がなく、りんごを二分の一個及びみかん一個しか食べれず、口が渇き、便所へ歩行すると吐気がすると訴えた。そのため、第一病院の外科部長である赤津医師が一九時に千枝子を診察し、同医師の指示により、催眠・鎮静剤フェノバールが筋肉注射された。

9  一八日、千枝子は、体温は三六・七度であつたが、脈拍は九〇で、血圧は八〇/五〇と低いままであり、眩暈及び左右胸部(季肋部)痛を訴え、頭痛及び発汗はなかつたが、軽度の咳嗽及び喘鳴があつて呼吸が速かつた。

この日、一三日の諸検査のうちCRP試験及びASLO法試験の結果が報告され、CRP試験の結果はプラス四であつたが、ASLO法試験の結果は正常範囲内であることが判明した。

一五時に、笠木医師が千枝子を診察し、右肺野に湿性ラ音を聴取したので、前日のX線写真読影結果も加味し、気管支肺炎と診断した。笠木医師は、継続的に投与されていたリンコシンの薬効を増加させて病態を良くする目的で、リンコシンの倍量投与を指示した。

千枝子はこの日、依然として食欲がなく粥食の五分の一を食べただけであり、尿回数は三回であつた。一九時には、体温は三七・五度、脈拍は九六で不整が生じ、頭痛はないが呼吸が苦しく胸部が痛いと訴えたので、胸部にエキホスの湿布をしたところ、二一時には、呼吸苦は幾分柔らいできたと告げた。

10  一九日、千枝子は、午前〇時に脈拍が一二六になり、胸部が痛く呼吸が苦しくて眠れないと訴えたので、鎮静剤セルシンを筋肉注射した。千枝子の症状が悪化したので、伊藤医師の求めにより、午前〇時半内科医水上医師が千枝子を診察した。右診察時、千枝子は熱はなく意識は清明だつたが、呼吸が困難で逼迫し、頻脈で尿量の減少、咳、痰があり、血圧は収縮期圧は九八であつたが拡張期圧は計測できなかつた。胸部聴診の結果、小水泡ラ音が前部では上右肺野、後部では全肺野に聴取され、チアノーゼはなかつたが、腹部はひどく膨隆し、腸打動音は比較的弱く、腓骨部、踝及び手に浮腫がみられた。

〇時半、千枝子の希望によりインダシンが投与されたが、〇時五〇分になつても、胸部痛及び呼吸苦が消失せず、眠れないと訴えたので、再びセルシンを投与したところ、嘔吐してしまつたが、そのまま様子をみた。

七時、千枝子は体温三六・五度で血圧は一〇六/七〇であつたが、脈拍は九六で、左手に浮腫がみられ、呼吸苦と胸部痛を訴え、息づかいが荒く、昨夜は殆ど眠つていないと訴えた。一一時半には、呼吸苦及び胸部痛を訴え、浮腫がひどく顔色が悪いため、看護婦が医師に診察を依頼し、水上医師の指示により、重症病室に移し、酸素吸入を開始した。一三時に心電図をとつたところ洞頻脈であつた。この時、下腹部は膨満したままで排ガスがあつた。

一三時二〇分、血圧は八〇/五〇で、排便はあつたが腹満感があり、自尿も少量だつたので、導尿を施行して排尿させた。このとき笠木医師が診察したが、血圧は収縮期圧八〇で拡張期圧は測定不能であり、呼吸は困難で顔面は蒼白、冷汗が出て、舌に褐色の苔がみられ、時々嘔気があるがだ液のみ嘔吐していたため、既にショック状態になつていると診断した。笠木医師が内診したところ、心音は純であつたが、肋膜部両側に摩擦音が、肺の両側に湿性及び乾性のラ音が聞こえ、頻脈で、腹部が膨隆し、大きな鼓音が聞こえ、腹水がややたまつていた。そこで、笠木医師は、急激に腹部が膨満したのは、腸の出口に通過障害があり、腸がガスでふくらんでしまつたからではないかと考え、直腸を指診したところ、直腸の前壁に、表面が平滑で小さな隆起を触知し、腫瘍と判断した。また、この時、笠木医師は胸部及び腸部のX線写真を緊急に撮影し、その読影結果及び右診察の結果から、場所は不明であるが腸内に腫瘍があつてこの腫瘍に続発して麻痺性腸閉塞が発生し、この腸閉塞によりショックが起こつたものであり、両側性肺炎にも罹患していると診断し、ショックに対する処置として、血圧上昇剤ノルアドレナリンを点滴により投与し、デキサ・シエロソンを静脈注射し、肺炎に対する処置としてリンコシンに変えて抗生物質セファメジンを投与した。

一四時に、血圧は一〇〇/七〇になり、呼吸も大分楽になつた様子であつたが、脈拍は一二〇で不整及び結滞があつた。被告は、二〇%ブドウ液、強心剤デスラノシド及び強心・利尿剤ネオフィリンを投与し、腹部にメンタ湿布をした。

一四時四〇分、血圧は収縮期圧が九八で拡張期圧が計測不能になり、脈拍も一二〇で不整及び結滞があるうえ、微弱で速脈であり、呼吸数は四八で呼吸苦であつた。一五時三〇分、下腹部は膨満したままで嘔気及び嘔吐があり、自尿の訴えはあつたが排尿がなかつたため、バルムカテーテルを施行したが約一〇CCの排尿しかなかつたので、医師の指示により利尿・降圧剤ラシックスを静脈注射した。

一六時には、血圧は九〇/四〇、呼吸数四八で、排ガスはなく、腹部膨満が顕著で、顔色はやや良くなつたが、一般状態は悪かつた。一八時には、血圧は収縮期圧が七〇で、拡張期圧は計測不能、呼吸数は五〇で呼吸困難が激しく、脈は微弱で連脈、四肢に冷感及びチアノーゼがあり、口唇部に軽度のチアノーゼがあつて全身浮腫が著明であり、意識は明瞭であるが、一般状態は悪化していた。そこで、デキサ・シエロソンを静脈注射し、昇圧剤ノルアドレナリンをラクテック輸液に加えて点滴した。

一八時三〇分にも下腹部が膨満したままで自尿がなかつたので、ラシックスを静脈注射したところ、気泡が三回位あつた。一八時五〇分には、デキサ・シエロソン・デスラノシド及びショックに対する救急剤ソルコーテフを投与したうえ、酸素吸入の方法を鼻腔より口腔に変更し、毎分五lの酸素吸入を続行した。

一九時、田尻医師が診察し、肛門内を指診したが、特異所見はなく、指診後粘液性膿が少量排出された。血圧は収縮期圧が六〇で、拡張期圧は計測不能、脈拍は不整かつ微弱で計測不能、四股冷感が顕著でチアノーゼ及び呼吸苦があつた。

二〇時、腹部が膨満しているため胃ゾンデを挿入したところ、コーヒー様の胃液が約三六〇CC排出され、再度排気を施行したが排ガスはなかつた。尿量が増加し始め、尿は濃く濁りがあつた。

二一時、血圧は六四/四〇、脈拍は一四四で微弱、呼吸数は四八であつた。腹満感が続くのでバルムカテーテルを施行したところ、排尿は五〇CCだつた。四肢チアノーゼは消失したが、顔色は不良であつた。輸血を開始した。

二一時三〇分、血圧は六八/五〇で意識は明瞭だが元気はなく、胃ゾンデによつて胃液流出後、大分腹部が楽になつたとのことであつたが、排ガスはなく、腹部膨満が続くため、メンタ湿布を続行した。チアノーゼは消失したままだが、四肢冷感があり、脈は、不整で結滞があり、微弱だが前回よりは触れてきた。出血及び溢血の予防治療剤アドナ、止血剤レプチラーゼ、止血剤プレマリン及びセファメジンを筋肉注射した。

二一時五〇分、血圧は七四/五〇、脈拍は一四〇、呼吸数は四八であつた。右注射後も特に楽にならないと訴え、一般状態の変化はない状態が続いた。呼吸・循環賦活剤テラプチクを注射した。

二二時三〇分、血圧は八〇/五〇、脈拍は一四〇で呼吸苦及び腹部膨満があり排ガスはなかつた。

二三時、血圧は七八/五〇、脈拍は一四〇で四本目の輸血を追加したが、一般状態に変化はなかつた。

二三時二五分、血圧は七八/五〇、脈拍は九四、呼吸数は四六であつた。体温が三九度まで上昇し、顔面が紅潮して体熱感はあるが発汗はなかつた。田尻医師の指示により、解熱坐薬イルビコを投与し、ラクテックにノルアドレナリンを加えて点滴した。

11  二〇日、午前〇時、田尻医師が中心静脈圧測定を施行したが失敗し、明朝再施行することにした。

〇時一〇分、テラプチック及びラシックスを投与した。

〇時二五分、血圧は六四/四〇で体温は三九・五度であつた。血圧が下降気味なのでノルアドレナリンの点滴の速度を速くし様子を見たが、高熱が続き熱が下降しないため、ピリンテスト施行後、解熱、鎮痛剤メチロンを筋肉注射した。

〇時五〇分、血圧は八四/五〇だつた。

一時三〇分、血圧は六八/五〇、脈拍は一四四で連脈、不整及び結滞があり、呼吸数は四四、体温は三九・五度、呼吸苦が強く顔面は浮腫であつて紅潮していた。一時間に五〇CC位の排尿があつた。

一時四〇分、血圧が下降したため、伊藤医師の指示により昇圧剤レスピゴンを静脈注射した。

一時五〇分、血圧は測定不能、脈も微弱と浮腫のため触診できず、四肢に冷感があつてチアノーゼがあらわれ、下顎呼吸となり、瞳孔反射はあるが意識はなくなり、一般状態は悪化した。

二時、血圧は八〇/五〇で、伊藤医師の指示によりソルコーテフ及びテラプチックを静脈注射した。

二時一〇分、血圧は七〇/五〇で一般状態は変わらず悪かつた。点滴が終了したので、再度ラクテックにノルアドレナリンを加えた点滴を施行した。

二時三〇分、血圧は収縮期圧が六四〜七〇、脈拍は一五〇で不整及び結滞があり、時々脈が触れなくなる。

二時四二分、瞳孔が散大した。心電図をとり、昇血剤ノルアドレナリンを心臓内注射し、テラプチックを静脈注射しながら、心臓マッサージをし、蘇生器を使用したが、蘇生できなかつた。

三時三分、死亡。

なお一月二〇日に、血液一般検査が行われ報告されたが、その結果、白血球数が著しく増加し、その血液像も好中球が増多し、骨髄球及び後骨髄がみられ著しく核左方移動していることが判明した。

以上の事実を認めることができ〈る。〉

四千枝子の死因(請求原因4)については当事者間に争いがない。

五被告の責務

千枝子が一一日、尾骨部及び胸部打撲傷の治療のため第一病院に入院し、被告と入院診療契約を締結したことは当事者間に争いがない。

被告は、右契約による被告の診療義務の範囲は、尾骨部及び胸部打撲傷の治療並びに入院に伴う生活上の配慮に限定される旨主張するが、医師は、入院中の患者に対し、当初の入院治療の目的たる疾病の治療に専念することは勿論のこと、他疾患の併発予防をも含めて患者の健康管理に意を用いるべきものであり、入院中の患者に他疾患が併発したときは、それが当初の入院治療の目的たる疾病以外の病因によるものであり、また、右疾患が標榜科目を異にする他科の診療対象に属するものであつても、これに対し、他科あるいは他病院への転医の要否についての慎重な検討、判断をも含めて、その能力、設備等の最善を尽くして、適切な処置を講ずべきことは、当然の事理に属するものというべきである。

以下この観点に立つて、被告医師らの債務不履行(過失)の有無について検討を加える。

六被告医師らの義務違背(過失)について

1  原告は、被告医師らの一三日における投与抗生物質の選択及びその使用方法の誤りを主張するので、まず、この点について判断する。

被告医師らが、一三日から千枝子に対し抗生物質リンコシンを投与したこと及びその投与方法は一三日から一七日までは一日一回六〇〇mgを筋肉注射するというものであつたことは前記のとおりであるところ、〈証拠〉及び鑑定人松本慶蔵の鑑定結果によれば、抗生物質投与による各種感染症の治療にあたつては血液、喀痰等の培養による細菌学的検査によつて起炎菌を決定したうえ、右起炎菌に対する薬剤感受性試験を実施しその測定結果に基づいて投与抗生物質を選択するのが原則であるが、起炎菌が決定できない場合、あるいは、細菌学的検査または感受性試験の結果を待つ時間的余裕がない場合には、患者の感染部位等から起炎菌のおおよその推定をなしたうえ、右推定起炎菌を含む広域の菌に対し抗菌スペクトルを持つ抗生物質を選択して治療を開始すべきものであること、抗生物質のうちリンコシンは、肺炎などの呼吸器感染症の起炎菌となるブドウ球菌、連鎖球菌、肺炎球菌等のグラム陽性球菌に対して広範囲の抗菌スペクトルを持つが、リンコシンはグラム陽性球菌のうちブドウ球菌に対しては、当時既に二〇ないし三〇%の耐性菌の存在が報告されていて、ブドウ球菌感染症の可能性があるときは第一選択の薬剤ではないとされていたこと、なお、抗生物質の選択にあたつては、抗生物質の病巣局所への移行性及び副作用も考慮すべきところ、抗生物質の副作用のうち最も警戒されるのはペニシリンによるアナフィラキシーショックであり、リンコシンは、その投与により激症下痢を主症状とする偽膜性大腸炎が発生することもあるが、他の抗生物質に比し副作用は少ないものとされていること、抗生物質の投与方法は、抗生物質の血中濃度の推移並びに病巣への移行濃度及びその保持時間に基づいて決定されているから、抗生物質の投与にあたつては、予防的に投与する場合であつても、必要期間中、充分な量を正しい投与間隔で投与すべきであり、さもなければ、充分な効果が得られないばかりでなく、耐性菌出現等の悪影響が発生する場合もあること、リンコシンの適切な投与方法は、成人に対し筋肉注射によつて投与する場合は、一日に六〇〇mgを二回(あるいは、効果を予測し、又は高感受性菌を予測して一日三〇〇mgを二回)投与すべきであることが認められる。

そして、前掲証人笠木の証言中右認定に反する部分は信用できないし、前掲乙第四号証の一も右認定に沿うものではないが、〈証拠〉によれば、同号証の一は昭和五一年一〇月改訂される以前の能書であると認められるから採用しない。

これを本件についてみるに、被告医師らが一三日に千枝子に対しリンコシンを投与したのは、前記のとおり、千枝子が一二日及び一三日に三八度を越えて発熱し、特に一三日には胸部聴診の結果右中肺野に時々軽く複雑音が聞こえ、一五時には三九・二度まで発熱したことから、千枝子は感冒に罹患しているものと診断し、右感冒の治療及び気管支炎または肺炎の予防を目的としてリンコシンを一日一回のみ投与することにしたものである。

そして、被告は、リンコシンを選択し、その投与量を決定するにあたつては、リンコシンのブドウ球菌に対する耐性並びに千枝子の薬剤に対する過敏性特異体質及び入院後の体力の低下、衰弱などを考慮した旨主張し、前掲証人赤津及び同笠木の証言は、右主張に沿うものであるが、前記のとおり一三日にピリン系薬剤であるセデスが投与されている事実に徴しても、右各証言は信用できないし、他に被告が右主張のような考慮をしたと認めるに足りる証拠はないばかりでなく、そもそも、千枝子が特異体質であるとの点については、〈証拠〉によれば、看護記録冒頭の「体質異常の有無」欄にピリン禁との記載があることが認められるが、右は前記認定のとおり入院当日における千枝子の自己申告を記載したものと解され、他に右特異体質の有無について何らかの検査等が行われた形跡を窺わせるに足りる証拠はなく、また、一三日段階において、千枝子の体力が抗生物質の選択及び投与方法に特別の影響を与えるほど低下、衰弱していたと認めるに足りる証拠もない。

そうすると、被告医師らの投与抗生物質の選択は、起炎菌決定のための血液、喀痰等の培養による細菌学的検査も薬剤感受性試験も実施していない点及びリンコシンのブドウ球菌に対する耐性について配慮していない点において、最善の選択とはいい難いが、前掲鑑定の結果によれば、一二、一三両日の高熱、一三日の肺部の複雑音から肺炎を推定できることが認められるから、被告医師らが肺炎を予測して肺炎の起炎菌となる肺炎球菌等のグラム陽性球菌に対し広範囲の抗菌スペクトルを持ち、副作用の少ないリンコシンを選択したこと自体は、医師の診療行為としてその裁量の範囲内にあるというべきである。

しかし、その投与方法は、通常適切な投与量とされているものの二分の一、投与間隔にして二倍の間隔で投与しているのであつて、抗生物質としての十分の効果は期待し難いものといわざるを得ないから、被告医師らの一三日から一七日までのリンコシン投与方法は誤りと言うほかない。

2  原告は、被告医師らはリンコシン投与後その効果判定を怠り、適切な薬剤変更をしなかつたと主張するので、次にこの点について判断する。

〈証拠〉並びに前掲鑑定の結果によれば、抗生物質を投与した場合は、投与後四八ないし七二時間以内に患者に対し細菌学的検査、白血球数、血液像、血沈の測定、CRP試験、胸部X線写真撮影などの臨床諸検査を実施し、その結果及び発熱、食欲、倦怠感、胸痛、咳、喀痰などの臨床症状の改善の有無により、投与抗生物質の効果を判定すべきであり、右期間中に、右臨床検査所見あるいは臨床症状が改善されないときは、投与抗生物質が無効であると判定し、その原因を究明したうえで速かに投与抗生物質の増量、他剤の追加、他剤への変更などの措置をとるべきであることが認められ〈る。〉

そこで、本件におけるリンコシン投与後の治療行為についてみるに、前記のとおり、一四日には一三日に実施された血液一般検査、尿検査及び赤沈検査の結果が報告され、右報告によれば千枝子が細菌感染症に罹患していることが示唆されていたのであるが、リンコシン投与後、その効果判定に必要な右臨床諸検査は、いずれも実施されなかつたのみならず、胸部X線写真は一五日に撮影したが、その読影は一七日までなされず、その臨床症状も、一四、一五の両日体温は三八度ないし三九度まで上昇し、一六日、朝には悪寒戦慄があつたことからして高熱を発した可能性が高く、一四ないし一六日の間、食欲は低下したままで倦怠感、胸部圧迫感ないし胸痛、頭痛も継続し、一四日には胸部聴診の結果肺に笛声音も聴取され、一向に改善のしるしがみられなかつたのであるから、〈証拠〉によれば、リンコシン投与の効果を得られていないと判定すべきであつたこと(なお、一四日ないし一六日の間には、体温が三七度前後まで下降したときもあるが、朝夕二回投与されていたインダシン座薬の解熱効果及び敗血症等が弛張熱型を示すことを考慮すると、右体温下降を把えて千枝子の病状が改善していたとすることはできない。)が認められ〈る。〉

しかるに、前記のとおり、被告医師らは、千枝子に対し、一七日までは鎮痛剤の投与、点滴成分の切換など対症的治療をなしたのみで、リンコシンに変わる抗生物質の投与などの細菌感染症に対する根本的治療を行つていないのであるから、被告医師らは、リンコシン投与後、その効果判定に必要な諸検査の実施を怠つたうえ、千枝子の臨床症状に基づく効果判定も誤り、その結果、遅くとも一六日までになすべきであつた投与抗生物質の変更等の細菌感染症に対する適切な治療をなさなかつたというほかない。

なお、前記のとおり、被告は、一八日に至つて、リンコシンの投与を一日二回に増量したが、右増量はその時期が遅きに失するため適切な措置とはいえず、また前記の一八日以降の千枝子の臨床経過に照らし、右増量もまた効果がなかつたとみるのが相当である。

3  原告は、千枝子が一七日以後ショック症候を示していたにもかかわらず、被告医師らはその原因究明をせず、一九日午前一一時半までその治療も怠つた旨主張するので次にこの点について判断する。

〈証拠〉並びに前掲鑑定の結果を総合すれば、ショックとは何らかの原因による急激な循環血液量の減少のために、全血管床に対するバランスが失調し、全身組織の無酸素症を伴つた循環不全を主徴とした急激な経過を辿る重篤な全身性の症候群を指し、その原因により(1)心原性ショック―心臓に一次的な原因のあるショック、(2)出血性及び低容量性ショック―出血、体液喪失等の低容量性因子に基因するショック、(3)細菌性ショック―細菌感染症によつて惹起されるショック等に分類されること、ショックの症候は、血圧の低下(収縮期圧八〇ないし九〇mmHg以下が判定基準とされている。)、脈圧の減少、尿量の減少又は無尿、頻脈、頻呼吸、四肢冷蒼白、意識混濁等であり、特に血圧の低下及び尿量の減少又は無尿はショックの重要な徴候であるとされていること、医師は、患者がショック状態になつたときは、心電図検査、血液培養、X線写真撮影等によりその原因を究明するとともに、中心静脈圧、脈圧、皮膚血管収縮及び尿量を測定しつつ注意深く経過を観察し、早急に治療をなすべきこと、ショック状態にある患者は、早期の適切な治療によりショックから脱却できるが、そのままの状態に放置すると、どのような治療に対しても、効果を示さないいわゆる不可逆性ショックに陥ること、ショックの治療としては、ショックの原因となつている疾患の治療(細菌性ショックであれば抗生物質の投与)をするとともに、酸素吸入による呼吸の補助、中心静脈圧が正常範囲を越えない限度での輸液並びに強心剤及び利尿剤の投与が必要であるとされていること、また、ショックにより麻痺性腸閉塞が惹起されることがあるが、その症状は、ショックの症状に加え、腹痛、嘔吐、ガス及び便の排出停止、腹部膨隆などであること、右麻痺性腸閉塞に対する治療は、原因除去のための適切な治療とともに、ショック状態の改善及び抗生物質の投与による中毒症状の予防・緩解のための応急措置並びに腸運動亢進剤及び腸管運動賦活効果が期待されるチアミン系薬剤の投与などであることが認められるところ、前掲鑑定の結果によれば、前記のとおり、千枝子が一七日及び一八日において収縮期圧が八〇mmHgとなり、一八日には尿回数及び尿量も減少し、頻脈で呼吸促進ないし呼吸困難を訴えていたこと、一二日以後の発熱、胸痛等の臨床症状、一三日実施の諸検査の結果が細菌感染症を示していたこと、一五日の胸部X線写真読影結果及び一七日の胸部聴診により右肺野に湿性ラ音が聴取されたことを総合すれば、被告医師らは、遅くとも一八日には、千枝子が細菌感染症に基因する細菌性ショックに陥つている可能性を考慮し、中心静脈圧、尿量等を測定しつつこれを検討し、ショックに対する適切な治療をなすべきであつたこと、千枝子は一九日午前〇時すぎには著しい腹部膨隆、浮腫を呈していたことからして、そのショック状態は、進行し、この時点でショックに基因する麻痺性腸閉塞を併発したものと診断し、麻痺性腸閉塞に対する適切な治療をなすべきであつたことが認められる。

しかるに、被告の医師らは、前記のとおり、一七日以降の千枝子の血圧低下など右諸症状を把握しながら、ショックの可能性を検討せず、一八日からリンコシンを倍量投与した以外は、一九日午前一一時半に酸素吸入を開始するまでショックに対する治療をなさず、一九日一三時半、笠木医師が千枝子がショック状態にあると診断してから漸くショックに対する本格的治療を開始したが、千枝子のショック状態は進行し、二〇日の未明死亡するに至つたものであるから、被告医師らは、ショック状態に陥つた千枝子に対する初期の診断を誤り、適切な治療をなさなかつたため、その治療の時期を失し、その結果、千枝子のショックの進行を阻止し得ず、遂に死亡するに至らしめたものというべきである。

なお、原告は、被告医師らが千枝子に対し、一九日及び二〇日に投与したノルアドレナリンは、ショック状態の患者に使用すべきでない薬剤である旨主張するが、〈証拠〉によれば、ショックによる血圧低下の場合、ノルアドレナリン等の昇圧剤を投与することは末梢血管収縮を強めていつそう血管抵抗を高めることがあるので、不適応であるが、ショックの初期あるいは血圧低下が著しく四肢冷寒等もみられる場合は、昇圧のために短期間に限定して投与することは支持し得ることが認められるところ、前記のとおり、一九日及び二〇日のノルアドレナリン投与時には、千枝子は血圧の低下も著しく、四肢冷寒等一般状態も悪化していたから、右ノルアドレナリンの投与は適切であつたというべきであつて、この点については被告医師らの診療行為を非難することはできない。

4  なお、被告は、千枝子は致命率の高いインフルエンザ後肺炎に罹患していたのであるから救命は不可能であつた旨主張するが、〈証拠〉によれば、インフルエンザ患者にみられる肺炎(以下「広義のインフルエンザ肺炎」という。)は、大きく分けて、(1)狭義のインフルエンザ肺炎(単純型インフルエンザで発病し、その経過中に肺炎を合併してくる型)、(2)電撃性肺炎(インフルエンザ発病後一ないし二日で高度の呼吸困難を訴え、熱は下降し、チアノーゼその他のショック様症状を示し多くは死亡する型)、(3)インフルエンザ後肺炎(単純型インフルエンザとして経過しいつたん治癒したかにみえていて、無症状の期間をおいて今度は肺炎として再び発病してくる型)となり、被告の主張するような急激、重篤な経過をたどり致命率の高いものは、インフルエンザ後肺炎ではなく、電撃性肺炎に当るものというべきであること、しかし、電撃性肺炎の症例はごく少く、解剖結果からして、千枝子は、ブドウ球菌の敗血症が先行し、これが全身臓器に転移化膿巣を作り、細菌性ショック及び転移性肺炎を惹起して死亡するに至つたものとみられ、その臨床症状の経過、一三日施行の諸検査結果に徴し、インフルエンザ及びインフルエンザに併発する急性気管支炎に罹患していたとみることには無理があることが認められ、右認定に反する前掲証人笠木の証言は採用しない。従つて、被告のこの点の主張も採ることはできない。

5 以上によれば、被告医師らは、千枝子に対する抗生物質の投与方法及びその効果判定を誤り、その結果、細菌感染症の進行を防止し得ず、引続いてショック状態となつた千枝子に対しても、ショックに対する適切な治療の時期を失し、千枝子をして死に至らしめたものというべきであるから、右医師らの診療行為は、前記認定の診療契約上の債務の本旨に従つた履行ではなく、もしくは、その診療行為には過失があるものというほかなく、被告は、その履行補助者ないしは被用者である右医師らの債務不履行もしくは不法行為の結果原告らが被つた次項の損害につきその賠償をなすべき義務がある。

七損害

1  給与に関する逸失利益

〈証拠〉によれば、千枝子は死亡当時四八歳(昭和二年一月二日生)であり、大田区職員として大田区行政職給与表(一)五等級(一五)号級を受けていたこと、大田区の条例によれば、同区の職員は満六〇歳に達した日以後における最初の三月末日に定年退職する定めになつていること、大田区職員の基本給は、千枝子死亡後昭和五八年までの間、ほぼ毎年ベースアップが行われ、右(一五)号級の基本給は別表二の基本給欄記載のとおりとなつたこと、大田区職員の昭和五八年度までの各年度の夏季、年末及び年度末手当の支給率合計は別表二の※欄記載のとおりであり、昭和五八年度以後も、昭和五八年度とほぼ同率であると予測できること、千枝子は、死亡当時基本給の他少くとも年四〇万円を下らない諸手当を受給していたことが認められ〈る。〉

なお、原告は、千枝子は毎年定期昇給することが予測できる旨主張するが、〈証拠〉によれば、大田区の条例により、大田区職員は一年ごとに直近上位の号級に昇給できる旨定められていることは認め得るものの、それ以上に出て、毎年の定期昇給を確実に予測させるに足りる証拠はない。

千枝子の給与に関する逸失利益は一六二〇万〇六一七円となる。

2  退職手当に関する逸失利益

千枝子の退職手当に関する逸失利益は一四四万七七五三円となる。

3  退職年金に関する逸失利益

退職年金に関しては逸失利益は現存しないものと言うほかない。

4  退職後の逸失利益

千枝子の退職後の逸失利益は四五五万〇五一二円となる。

5  慰謝料

前記認定の本件医療過誤の態様、千枝子の年齢、家族構成その他一切の事情を考慮すると、本件医療過誤により千枝子が被つた精神的苦痛に対する慰謝料としては一〇〇〇万円を相当とする。

6  相続

前記認定によれば、原告英美は千枝子の夫、原告稔は千枝子の長男、原告乃婦子は千枝子の長女であり、千枝子は昭和五〇年一月二〇日死亡したことが認められるから、原告らの相続分は各三分の一である。

そうすると、千枝子の有していた右1ないし5項記載の合計三二一九万八八八二円の損害賠償請求権は、同人の死亡により、原告らにそれぞれ一〇七三万二九六〇円宛相続承継されたことになる。

7  葬儀費

四〇万円をもつて本件医療過誤と相当因果関係のある損害と認める。

8  弁護士費用 原告ら各自につき一一〇万円をもつて本件医療過誤と相当因果関係のある損害と認める。

八結論

以上の次第であるから、本訴各請求は、原告英美において一二二三万二九六〇円、原告稔及び原告乃婦子において各自一一八三万二九六〇円並びに右各金員に対する不法行為の日の翌日である昭和五〇年一月二一日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度において理由があるから、これを認容し、その余は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官落合 威 裁判官坂本慶一 裁判官白石史子)

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